山の手、下町と坂道の関係

東京は、じつは坂道の多い町です。

たとえば渋谷は、「谷」の字がつくだけあって、周囲には道玄坂、宮益坂など坂道が多くあります。

これら坂道の多くは、江戸時代以降につくられたものといわれています。

それ以前は、現在の東京都心部の西側は台地で、左側はガケのように切り立った低地になっていました。

この地形から、江戸幕府による町づくりが進むなか、ガケをなくすための土地の造成事業で、たくさんの坂道がつくられることになったのです。

そのため、東京の坂道の中には、江戸時代の名前をそのまま継承しているものが少なくありません。

段が9つあったことに由来するといわれる九段坂、神楽の音が聞こえてきたことからつけられたとされる神楽坂、坂上から芝浦の海辺を見渡すことができたことに由来するといわれる潮見坂……。

土地造成で十分な土地ができると、幕府は、四谷、青山、市ヶ谷といった、坂道の上の地域に大名や旗本の武家屋敷と寺社を集め、日本橋、浅草といった坂道の下には職人や商人を集めて住まわせました。

これは、身分秩序を明確にするための施策だったと考えられています。

東京の「山の手」と「下町」という区分は、このときにできあがったものです。